なぜあのいちご農家は懲りずに何度も何度も僕のところへ来るんだ。
男は少し苛立っていた。
男は本当はいちごを好きになりたかった。
でも酸っぱいいちごとかたちの悪いいちごが苦手だ。
それに。
いちごは冬から春にかけてしか食べられない。
男は寂しい気持ちになった。
もしもいちごを好きになったとき、夏と秋はどうやって生きていけばいいのだろうか。
男は激しい虚しさに襲われ、いちごオレを一気に飲んだ。
とても甘い。
いつも甘い。
そしてきれいなピンク色だ。
いちごオレのピンク色は着色料でできていた。
まるで男に振り向いてもらうために過度に化粧する女のようだ。
春がやって来た。
またあのいちご農家が来るのか。
男は怒りさえ感じていた。
僕がいちごオレを飲んでいてなにが悪い?
いちごジャムを貪っていてなにが悪い?
僕がそれを望むのだからいいではないか。
男はいつにも増していちごオレを飲んだ。
3日分のいちごジャムも食べた。
あぁ…
これが僕の幸せなんだ…
いつでも手軽に甘さを味わえる。
これこそが幸せなんだ。
毎日毎日甘いものを食べていたい。
酸っぱさなどいらない。
男はいついかなるときも完璧である世界を望んだ。
男はいついかなるときも負の感情を抱きたくなかった。
それから3年の歳月が過ぎていった。
いちご農家はあれ以来、男のもとへ来なくなってしまった。
男はいちご農家を傷つけてしまったかもしれないというほんのわずかな罪悪感を抱いた。
でもいちご農家のしつこさにうんざりしていたので、どうでもよかった。
春がやって来た。
いちご農家の姿を見なくなってから5年の月日が経っていた。
男はいちご農家のことなどきれいさっぱり忘れていた。
男は相変わらずいちごオレといちごジャムを溺愛していた。
より一層甘いものが食べたいときはいちごのチョコレートをかじった。
男は今日もいちごオレを買おうといつものスーパーマーケットへ向かった。
いつもの場所へ立ち寄ったとき、彼の目に見たことのないものがうつった。
「いちご農家印のいちご牛乳」
これは新しいいちごオレか?
彼はいぶかしがった。
そのとき彼の友人がこのいちご牛乳の話をしていたことを思い出した。
いちごの酸っぱさを抑えつつも、甘ったるすぎないおいしい飲みものだ。
またいちごとちがって、このいちご牛乳は夏も秋もおいしく味わうことができるらしい。
買ってみるか。
男は「いちご農家印のいちご牛乳」を手に取りレジへと向かった。
家に帰り、さっそくこのいちご牛乳を飲んでみた。
おいしい…
男は心が穏やかになるのを感じた。
たしかにいちごオレもおいしい。
いちごジャムも好きだ。
いちごのチョコレートは甘くて最高だ。
でも。
このいちご牛乳は、甘いだけではない。
何か今までに感じたことのない雑味を感じる。
でもその雑味はあえて受け入れたいと思う。
この雑味ゆえにいちご牛乳の甘さが奇跡のように思える。
この雑味ゆえにいちご牛乳のおいしさが引き立つような気がする。
男の顔から笑みがこぼれた。
男が心から笑顔になったのはおよそ15年ぶりだ。
いちご牛乳というのは僕がずっと昔にあきらめていた幸せそのものなのかもしれない。
またこの幸せに出会えてよかった。
男はそう思った。
この男の微笑みがいちご農家に届くことはないであろう。
なぜならこの男はいちご農家のことをすっかり忘れてしまっていたからだ。
でもたしかにこの男は幸せへの一歩を踏み出した。
15年という長い長いときを経て。